17歳の地図
2014年夏、野良猫に絡まれている私
尾崎を聴いて思うこと。
彼は退学した高校の卒業式の日にデビューライブを重ねてきたんですね。
新宿ルイードでこの歌を歌う直前のMC、「俺たちがなんとかしなけりゃよう!……なんにもなんねェんだよ…」のところが最高にクールだ。
父は、バイクを盗んだり窓ガラスを割るのは犯罪だからと、私が尾崎を聴く…というか知ること自体から遠ざけていたように思う。私もそのときは尾崎は不良なのだと思っていた。けれど、父は当時教員で、私も彼の生きた時代、70年代後半~80年代の閉塞感溢れる学校文化や管理教育の現場をを知らなかった。
だから「共感」として尾崎の歌を聞いているかと言われれば、そうではない。ゆとり世代の私は割と学校が好きだった。
「尾崎に共感しない若者たち」みたいな記事もあって、時代による感覚のズレを知る。
これは完全にわたしの勝手な憶測なのだけど、
おそらく尾崎より前の時代の若者たちは、体制への不満や周囲の圧力からの脱出として、たとえば学生運動で自分の力を確かめたり。またある少年は読書し、本の一節に救いを見出していたのではないか。
それが70年代後半になると、溢れた少年たちが校内暴力に走り、不良というものが生まれ、そして尾崎が出てきた。彼は暗闇の中にいる若者の光として、歓迎された。
もちろんそのとき同じ暗闇にいた若者で、尾崎を光と思わず、学問や一冊の本、レコードやCDに光を見つけて生きたものたちも多いでしょう。
何が言いたいかというと、今より昔の若者は、思春期の暗闇の中に入ったら、射す光を見つけるのに時間がかかったり、たとえ見つけたとしてもその光はすごく細いものだったと思うんです。
将来についての圧倒的見えなさ…というか。手探り感。
それゆえ、自分が見つけた自分なりのしるべ、「光」を、大人になってもその頃の思い出と一緒に大切にしている人たちが多いように感じる。
今は暗闇に入っても、少年少女たちの手にはスマホが握られており、インターネットが未知のほぼ全てを照らしてくれる。
だから今の中学生からしたら、尾崎はなんであんなに一人で必死に暴れているんだろうと思うかもしれない。状況が違うんだろうね。でも結局、周りはLEDの光で明るくても、十代の心の中は、やはり手で探るしかない暗闇なのではないでしょうか。
ガラスのような人で、しかも割れてしまった。
ちなみに、尾崎が何回も「自由になりたい、自由じゃなきゃ意味ねェんだよ!!」って言うてる動画に、「自由が丘に住めばいいじゃないか」っていう強烈にさめたコメントがあって、なんでかそれがツボに入ってさあ。